読書

がむしゃらに努力するのは最も楽な道

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最近(でもないですが)、三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が話題ですね。

タイトル的におもしろそうだなーと思いながら読めていませんでしたが、今週読破しました。

表題の問いに対する直接的な答えをすぐ提示するような本ではなく、明治時代から令和に至るまでの社会人と本の関係を読み解きながら答えに迫っていくような構成でした。

本書の中で、三宅さんの以下のような名言を残しており、この点をピックアップしていきたいと思います。

••••••現代を生きている私たちも、まずはこれを認めることからはじめよう。全身、コミットメントするのは、楽である、ということを。
三宅香帆. なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書) (Japanese Edition) (p. 202). 株式会社 集英社. Kindle Edition.

全身全霊、努力するのは楽である

三宅さんは、現代社会は「トータル・ワーク社会」、すなわち24時間全身全霊で仕事にコミットメントすることが求められる社会であることを指摘しています。

そして、何かひとつのことだけに24時間費やすことは楽である、ということを主張しています。

これは私自身も強くそう感じています。だからこそ強く共感し、この考え方を広めるために記事を執筆しています。

何かひとつのことに全ての時間を投下している人には、2パターンいると考えています。

1つ目のパターンは、本当に好きなことや極めたいことに没頭している人。

もう1つのパターンは、何かに没頭することで他の面倒ごとから逃げている人。

今回の話題は、後者のパターンに焦点を当てています(少なくとも私は)。

 

現代社会では、何かひとつのことに没頭してがんばっている人は、無条件で称賛されます。

仕事に全身全霊で打ち込んでいる人は、特に尊敬の対象です。

でも、仕事が好きで打ち込んでいる場合は問題ないと思うのですが、仕事に打ち込んでいることを盾に、本来向き合うべき問題から逃げている人も多いのではないかと思ってしまいます。

たとえば、私が社会人になってよく見るタイプとして、好きなことがない、自由な時間が与えられてもやりたいことがない人がいます。そういう人に限ってワーカホリックだったりします。

それは、帰ってもやることがないから仕事に打ち込んでいるにすぎないのでは?と思ってしまいます。

つまり、何かへの没頭を目的ではなく手段として利用している、ということです。

好きなことがない、やりたいことがないのなら、趣味探しを始めれば良いと思うのですが、それはそれで労力を使いますし、まず何から始めていいのか分かりません。

好きなことを見つける、というのは割と難題だと思うのですが、何かに没頭していれば、そんなことを考えなくて済むのです。

「仕事が忙しくて時間がない」という一言で逃げられますから。

そして、周りからは仕事に熱心でがんばっているという評価を受けることができます。

本来向き合うべき問いから逃げ、周りからは称賛される「全身全霊の努力」は、実に楽な道である。三宅さんはそこまで強い言い方をしてはいませんが、私はこのように感じています。

「半身社会」を生きる

三宅さんは、24時間仕事へのコミットメントを要求される現代社会に意義を唱え、「半身社会」を提言しています。

何事も半身でいいのです、仕事も趣味も。

私自身も、たまに全身に逃げたくなります。

今は仕事が忙しいから、トレーニングに行けていないのだ。それはしょうがないことなのだ。

仕事が楽しくて没頭しているから、食事管理もままならない状態なのだ。それはしょうがないことなのだ。

私自身もたくさん趣味があり、仕事ばかりでなく趣味を楽しめる人生を送りたいと考えています。

そのためにも、まずは仕事に半身で取り組めるような環境を作っていきたいと思っています。

何事も「ちょうどいい」が一番難しいんですがね。。

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